南風島 渉(報道写真記者)著
四六判/296ページ/本体2500円+税
2000年8月/978-4906640348
◆第23回講談社ノンフィクション賞、候補作!
00年8月、悲願の独立を圧倒的多数で選択した東ティモール。結果発表直後のインドネシアによる焦土化作戦は、東ティモールの隠された24年間の縮図だった。そこには、暴力を放置した国際社会の思惑も多分に働いていた──解放軍の従軍取材を通し、臨場感あふれる文章と数多くの写真で人びとの生き様を描く人間味あふれるルポ。
プロローグ
第1章 隠され続けた紛争地
誰も知らない東ティモール
バリ島から一時間余の紛争地
侵略者の論理
密告社会の悪夢
祈りと検問
二重スパイのカイ
銃口を向けあう被抑圧民族
「虐殺の共犯者」日本
東西冷戦と情報戦略
第2章 地下活動家たちの夜
かの地ふたたび
武器なき闘争
地下を這う「白い英雄」
精霊に守られた人びと
コーヒーの林へ
一六〇センチのカリスマ
戦場からの伝言
密林での一夜
西ティモールへの脱出
日本議員団の訪問
APECとカイの訪日
逮捕されたカイ
第3章 免罪符の汚れた影
二つのノーベル平和賞
四度目の入国
活動家たちとの再会
猜疑の沼
空港に生まれた解放区
歓喜の裏の失望
紛争地の聖夜
タラの闘い
第4章 山を泳ぐ魚たち
民衆に紛れた解放軍キャンプ
好々爺デビッド・アレックス
解放軍のゲリラ戦術
抵抗を支えるアリの行列
無視された大儀
断崖での邂逅
戦争が嫌いな司令官
空中要塞の兵士たち
包囲された要塞
血にまみれた手
第5章 独裁者の腑のなかで
好々爺の死
スハルト王朝の崩壊
ジャカルタにはためいた東ティモールの旗
インドネシアの民主化と東ティモール
自由への胎動
第6章 自由への残酷な代償
住民投票の矛盾
大手メディアの草刈り場
投票前夜
姿なき「併合派」
民兵と日本
希望と絶望の狭間で
植民地支配への訣別
暗黒の序章
裏切りの足音
巻き戻されたシナリオ
焦土作戦
第7章 闘争の果ての曙光
ゼロの地平
援助と未来
行き場を失った英雄たち
不戦の理想と現実
新たな侵略、新たな闘い
民族性の功と罪
過去の精算を越えて
友人たちの消息
「日出るところ」の国
再生のとき
エピローグ
南風島 渉(はえじま・わたる)
元通信社写真部勤務。現在、フリーのジャーナリストとして各種雑誌、新聞紙上に記事を掲載している。国際報道の多くが欧米の価値観を通したものであることに疑問を感じ、アジア人の眼を通したアジア報道をめざす。
音楽ドキュメンタリー映画『カンタ!ティモール』の監修者でもある。※「Canta! Timor」ブログはコチラ。
書評オープン 『東京新聞』(2000年9月17日より) 日本人の大半がその地名すら知らなかった九三年、通信社カメラマンだった著者は初めて東ティモールを訪れた。その時の息詰まるような描写が、当時の”隠された弾圧の地”東ティモールの現実をすべて物語っている。以後七年にわたって著者は、抵抗運動家や人々の生活を取材してきた。本書は文章と写真によるその記録である。 『週刊エコノミスト』(2000年9月19日号より) インドネシア、東ティモール。独立をめぐって、24年もの間インドネシアの暴力的支配を受けてきた。しかも、日本は利権というエサのために虐殺に加担している。報道写真記者の著者は、7年間現地に通い解放軍や紛争地に生きる人々を取材してきた。多数の写真を収録するノンフィクション。 『サンデー毎日』(2000年9月24日号より) 独立に向かう東ティモールの抵抗闘争描く 評者 ルポライター 鎌田 慧 インドネシアは、たいがいの日本人にとって、赤道直下にあってはるか遠く、観光地・バリ島の自然や風俗などの断片的な知識が、せいぜいなところである。 『週刊朝日』(2000年10月6日より) ※そのほか『東京新聞』(00年9月17日)、『週刊エコノミスト』(00年9月19日号)、『サンデー毎日』(00年9月24日号)、『週刊朝日』(00年10月6日号)、『オルタ』(12年5・6月号)などで紹介されました。 読者の声オープン 記述及び写真の数々が大変すばらしいと思う。決死の覚悟で取材を続けられている南風島渉さんを心から応援したいと考えている。今後の東ティモールでの活動を期待したい! (高校教諭) 騒がれていた記憶はあった。そしてそのあとは忘れてしまっていた。自由をこのような犠牲を払ってでも手に入れようとした人々に感動しました。知らないことは恐ろしい。日本人としての反省だけで何が出来るのだろうか。具体的には?勇気ある記者の方によってこの本がつくられたことに感謝します。 (68歳・女) 南風島渉さんの報道記者としての使命感にはすごく驚かされ、決して新聞やテレビなどでは見られない現実が見られてショックを受けました。これからも頑張ってください。 (18歳・男)
独立後の今なお不穏な情勢の続く東ティモール。七年前からかの地の独立の闘志たちと親交を結んできた写真記者が、自らの体験を核として語る独立闘争の酷薄なドキュメンタリーだ。インドネシアの不当な侵攻と弾圧がもたらした悲劇的な現実が緊迫した写真と共に生々しくつづられていく。スハルト政権を無批判に支持し、金銭と物資を提供してきた日本の国民は、東ティモール問題をきちんと理解する義務を負っている。本書はその第一歩になりうる一冊だ。
ほぼ七年の取材を経た骨太のルポ
だから、さらにオーストラリアに近い、ティモール島についてなど、ほとんど知られていなかった。ポルトガルからの独立の過程にあったのだが、インドネシア軍に制圧されて取材にはいることができず、「秘密の島」にされていたのも、その大きな理由だった。
通信社のカメラマンだった著者は、九一年一一月のインドネシア軍による、五百人にものぼる東ティモール住民にたいする大虐殺を報じた、ベタ記事を読んでいた。その二年後、休暇をとって個人取材にでかける。
が、このときは、軍当局の尾行、盗聴、取材妨害にあって目的を達せずに帰っている。それから勤め先の通信社をやめ、フリーのカメラマンとして、潜入するようになる。
「東ティモール問題」が、日本でも知られるようになったのは、九十九年八月の独立を求める住民投票の勝利とその直後の「民兵」による虐殺と焦土化作戦によってだった。インドネシア兵と結託している民兵の凶暴さは、テレビの映像で世界に報道された。スハルト大統領が退陣し、住民投票が行われたあともなお、このような暴虐がおこなわれたことは、世界にショックをあたえた。
この本は、ほぼ七年におよぶ、著者と西パプア地下組織のメンバーたちとの交流と、逮捕やテロルの危険をくぐりぬけ、独立に向かう東ティモールの抵抗闘争を描いた、最近の日本ではすくなくなった、骨の太いルポルタージュである。
東ティモールは、二十一世紀の幕開けとともに独立する国である。その独立運動を武力でつぶしてきたのが、インドネシア国軍だった。インドネシアの軍事侵略を非難する八回にもわたる国連決議に対して、反対および棄権をしつづけてきたのが、ほかならぬ日本であり、私腹を肥やしていたスハルト政権に四兆円もの援助を与え続けてきたのが、この日本だった。
ゲリラに従軍した著者は、それを「虐殺の共犯者」と呼んでいる。政府やODAに関わる企業はべつにしても、マスコミと国民は「無関心の共謀」といってもいい。その自責が、著者の危険な取材をささえていた。東ティモールについての関心は、わたし自身にとっても、運動家たちが「ノーベル平和賞」を受賞した、九六年前後のことでしかなかったのは恥ずかしい。
ノーベル平和賞のひとり、ラモス・ホルタは、日本に対して、「インドネシアに経済制裁を加えろとは言わない。ただ中立であって欲しい」といっていた。それを受けて、著者はこういう。「東ティモールにとってはそれだけでも十分な支援に見えた。しかし、実際に日本が行い続けたのは、犯罪を続けるインドネシアの擁護ばかりだった」
抵抗運動をつづけている、東ティモールのひとたちの笑顔が、数多く掲載されたこの本は、生硬な政治状況の分析ではない。ひとびととの出会いに従って書きすすめられている。その率直な交流が魅力的だ。
著者の取材に献身的に協力した青年は、ゲリラと当局とのダブルスパイだった。その人柄がごく自然に描かれている。タラ・レウは、指導者が殺害された事件との関係を疑われて運動から姿を消していたが、住民投票のまえ、著者との感動的な再会をはたしている。
住民投票のあと、ようやく平和にむかっているとき、かつてのゲリラたちが、手もちぶさたとなり、なにをしたらいいのか戸惑っている表情が印象的である。それが武力闘争の矛盾をあらわしている。この本は、「世界は変わる」との信念によって書かれている。表題にあるロロサエは、ティモールの別名で、「日が昇る場所」の意である。