村井吉敬 著
四六判/222ページ/本体1900円+税
1998年3月/978-4906640102
資源を保護するための慣行であるサシを切り口に、国家と国境を越えて海と共存して暮らす、ゆるやかに開かれた小宇宙=東南アジア島社会の豊かさを描き、日本の発展のあり方を根本から考え直す。
第1部 海に生きるひとびとの知恵
第1章 ゆるやかに開かれた小宇宙──東南アジアの島社会
1 島と海と森から成る社会
2 資源を守る知恵
3 島社会に学ぶ
第2章 資源と環境を守るサシ
1 サシとの出会い
2 カンポンとサシとペラ
3 海と陸のティイヤイティキ
4 自然の恵みを均等に分ける工夫
5 自然とのつきあい方を学ぶ
第2部 アジアの視線、日本の姿
第1章 エビとマグロとマングローブと
1 南の島の海辺を歩きながら考える
2 エビ好き日本人がマングローブ林を減らす
3 インドネシアからやって来る木炭
4 アジアに身近なミルクフィッシュが減る
5 ODAで拡張されるバリ国際空港
6 ODAで造られた日本向けマグロ漁港
7 終わらぬ狂奏曲
第2章 地域自立をめざすエコ・ツーリズム
1 カニ族だったころ
2 急速な観光開発が進んだバリ島
3 広がりつつあるエコ・ツーリズム
4 サゴヤシと鹿のセプ
5 夜目・遠目・狩猟の世界
6 先住民族の文化を知るツーリズム
第3章 アラフラ海に残る戦争の傷跡──精算されていない日本の戦後
1 「自虐史観」という前に
2 日本軍による集団虐殺の島へ
3 アラフラ海の日本軍
4 住民たちの証言
5 日本軍による文書改竄
6 生きている戦争の傷跡
第3部 国家と国境を越えて
第1章 海世界、東南アジア
1 ふるさとは一衣帯水の島と海
2 海のシルクロード
3 民衆同士の交易をつなぐ裏街道
4 国境線を取り払うと本当の東南アジアが見える
第2章 越境する海の民
1 国家を越える民族集団バジャウ
2 二つの領海侵犯事件
3 バジャウとはどんな民族集団なのか
4 エスニシティのゆらぎ
5 天空ほどに高く、海原ほどに深い
第3章 世界につながる小さな港町
1 オウムのいる世界
2 オレオレ文化
3 南海産品と華人の役割
第4章 「商品化最前線」の歩く華人商人
1 ポートモレスビーからダルへ
2 稀代の華人ナマコ商人マイケル・チョップ
3 ディンギに乗ってナマコの買付けへ
4 近代国家の壁とつくられたイメージ
第5章 港を歩くとインドネシアが見える
1 港町の裏風景
2 役人と悪戦苦闘した港
3 港から見える富と権力
4 歴史が香る港
第6章 ベント──あるいは開発と侵略
1 イワン・ファルスは吠えて踊った
2 無法者としての国家
3 ガン細胞を支える日本人
あとがき
書評オープン 『神奈川新聞』(1998年3月31日より) 「サシ」とはマルク(モルッカ)諸島の言葉で休ませるという意味である。村の人々は、浜辺をいくつかの区画にわけ、その半分を一年間禁魚にするという。漁をすればするだけ採れるのだが、資源を根絶やしにしないという考え方が生きているのだ。 『教育家庭新聞』(1998年4月18日より) 『エビと日本人』で有名な著者は、一〇年前にそのエビの調査をひととおり終えた今も、東インドネシアの島々を旅して回っている。なぜか。「たいした理屈などない。感性に合っていた、それだけだ」-このいいぐさがすごくいい。南の島々で調査を続けていると、伝統社会と商品経済、開発とのせめぎあいに直面せざるを得ない。そして、エビと同様に、さまざまな”近代化”の向こうに日本の影が見えてくる。 『エコノミスト』(1998年4月20日号より) ※そのほか、『福島民報』(98年3月30日)、『下堅新聞』(98年3月28日)、『山陽新聞』(98年3月30日)、『大分合同新聞』(98年3月30日)、『長崎新聞』(98年3月30日)、『信濃毎日新聞』(98年3月29日 )、『月刊現代』(98年5月)、『週刊金曜日』、『月刊インドネシア』(98年3月)、『學鐙』(98年5月)、『週刊読書人』(98年6月12日)、『聖教新聞』(98年4月22日)、『ふぇみん』(98年4月25日)、『ソフィア』(98年秋季)などでも紹介されました。 読者の声オープン 平易な文章で読みやすい。ポイントがつかめて、その次の興味がつぎつぎと思い浮かんでつきない。表紙もすぐにインドネシアだと思いつくほどよく出来ていると思う。駐在員時代が思い出されます。 (55歳・男・会社員)
表題の「サシ」とは、東インドネシアの島と海と森に暮らす人々の生活習慣で、「休ませる」とか「禁漁」という意味に使われている。定められた区域を禁漁することによって、自分たちの住む地域の資源を守り、そして育てるための生活の知恵である。
たとえばある島では、海の産物だけでなく、川、森、村にそれぞれのサシがあり、掟も存在する。この習慣があることによって、豊かな自然環境が守られてきた。
二十数年にわたり、東南アジアの人々の暮らしとエビ、ナマコ、そして日本のODA(政府開発援助)を調査、研究してきた著者が出合ったのが、このサシだった。
しかし、この習慣も近年、インドネシア政府や先進国の「開発」によって急速に壊されつつある。
「開発」と「近代化」の波は、人々に豊かな自然の恵みを与え続けたマングローブ林の伐採にもつながっていく。マングローブから日本人の使用する「南洋備長炭」が作られ、跡地には日本人が食べるエビが養殖されている。
そしてこの地域には、かつて日本軍による集団虐殺があった島も存在する。
「サシ」「エビの養殖」「マングローブ」「日本軍」と、一見何の関係もなさそうなこれらは、実はどれも私たちの今の暮らしと深く結びついている、と著者は書く。
無数に点在する島々を小舟でまわり、村から村を自分自身の足で歩き、人々の声に丁寧に耳をかたむけ、自身の疑問をひとつひとつ解き明かしていく過程は、読み手にも納得させてくれる手法だ。
自然と向き合い共存して暮らしている人々と、その生活を意識することなく破壊する側にまわっている私たち日本人への警告の書でもある。
ヤシの実についても「サシ」がある。
自然があれば開発しようとし、そこに特産があればあるだけ取ってしまうような激しい消費社会の中にいる私達に、東南アジアの海で暮らす人たちの生活は実に自然と共存しているように見える。
貴重な地球からの恵みを次の世代にも伝え続けるためにも、「サシ」から学ぶところは大きい。
一方で、著者が見つけた島々の習慣に、「サシ」があった。東インドネシアの島々では、資源保護のために、たとえば村単位で、一定期間、区域での休漁が行われているのだ。そうした自然との付き合い-著者は言う。「伝統的社会のすべてを理想化できないにしても、『緑の革命』や森林に商業伐採やトロール船もまた理想化できるものでは到底ない。開発が極限まで進み、環境のゆきづまりもはっきりしたこの世紀末、私たちは『人びとの在地の知恵と技術』を、いまひとたび真摯に見つめる必要がありはしないだろうか」。