寄本勝美 編著
四六判/272ページ/本体2200円+税
2001年2月/ISBN 978-4906640386
分権化が進むなかで公共と民(市民・企業)が役割をどのように分担し、相乗的な関係と政策を創るのか。福祉・環境・まちづくり・ごみ・農などで民主導の地域づくりを明示。豊富な具体例がうれしい1冊。
プロローグ 二つの公共性と官、そして民/寄本勝美
1 公共と官
2 二つの公共性と官・民の活動
3 役割相乗型の公共政策
4 官僚化の阻止
第1章 分権改革と二一世紀の地方自治/市川喜崇
1 分権化の成果と可能性を考える
2 九〇年代初頭の分権論議
3 分権改革の概要
4 地方分権の今後
5 福祉国家の今後の展開
6 むすびにかえて
第2章 市民主導の計画づくり──日野市環境基本計画の制定過程/早川 淳
1 環境基本計画づくりを取り上げる意義と課題
2 市民立法としての環境基本条例の制定過程
3 市民と職員の協働としての環境基本計画の策定過程
4 環境基本条例・計画の制定過程から学ぶもの
第3章 地方議会と住民投票制度──地域政治復権のために/岩崎恭典
1 地方議会・地方政治への低い関心
2 第二次世界大戦前の地方議会──現在まで受け継ぐ地方議会の「伝統」
3 第二次世界大戦後の地方議会──新しい袋と古い酒
4 住民投票の登場
5 地方議会の改革方向
第4章 小さな自治体と大きな市民自治──英国における公-民関係/小原隆治
1 英国は地方自治の母国?
2 公-民関係の現状
3 公-民関係の移り変わり
4 市民連帯の自治・分権型社会へ
第5章 アメリカの自治から学ぶべきこと・学ぶべきでないこと/佐藤学
1 ピッツバーグ大都市圏の成り立ちと自治の仕組み
2 消防と福祉に見る自治の精神
3 公教育を支える民の力
4 地域格差と排他主義
第6章 清掃行政と公民協働/山本耕平
1 市民と行政の協働が求められている
2 リサイクルセンター建設と政策形成
3 脱焼却・脱埋立のごみ処理をめざして
4 NPOの積極的活動
5 多様な主体間の協働が循環型社会を創る
第7章 民が主役で公が支える高齢者福祉/瀧井宏臣
1 超高齢社会の到来と地方自治
2 「お上」の福祉から「民」の福祉へ──日本の高齢者福祉政策の推移
3 民間セクターの可能性と課題
4 高齢者の生きがい創出
5 民間セクターの発展を促す公の役割
第8章 福祉のまちづくりと障害者の参加/麦倉 哲
1 福祉のまちづくりにおける三大矛盾の解消
2 交通アクセス権と二つのバリア
3 自治体による福祉のまちづくり
4 公共交通におけるバリアフリー対策
5 障害者の参加システム
第9章 スポーツ事業における公民協働の可能性
──アイスホッケーチーム「日光バックス」設立運動を素材にして/中村祐司
1 企業スポーツの転換と公共性
2 廃部表明とチーム存続署名活動
3 存続のためのさまざまな活動
4 スポーツ事業をめぐる公民協働の可能性
第10章 環境を守る農を生み出す民の力/大江正章
1 急増した新規就農希望者
2 移住者を広げ、支える仕組みづくり
3 都市の公共性を創る農
4 環境を守る農を広げるために
エピローグ 公共を支える民──地域政治復権のために寄本勝美
1 官民から市民、企業、行政へ
2 企業による社会的貢献の高まり
3 ガバナンスの担い手としての民と参加
4 地方分権の推進と自治体行政
あとがき
書評オープン 『自治研』(2001年3月号より) いま地方自治に携わる人間にとって、公共とは何か、公共・官・民(市民・企業)が役割をどう分担し、相乗的な関係と政策を創るかは、最大のテーマといえるだろう。いうまでもなく、公共には、官(行政)が担う公共と、官の介入を排除しつつ民が担う公共がある。しかし、この民が担う公共についての議論は、本格的に進んでいない。 『都政新報』(2001年3月20日号より) 「協働」は今日の地方自治のキーワードである。従来”Public”は行政が担うもの、という認識で社会が運営されてきたが、その限界が明かになってきたからだ。 『農』(2001年4月号より) 本書の編著者である寄本早大教授は、ゴミ博士というニックネームがあるほどごみについて造詣の深い行政学者である。著者とお弟子さん達が勉強会を通じて完成させた本書のバックボーンは、そのプロローグで教授が述べているように「市民生活を取り巻くさまざまな問題は、公共(社会と言ってもよい)の問題として捉えられるべきものである」という点である。 『公明新聞』(2001年7月2日より)
「公共を支える民」というテーマはやや分かりにくい。しかし実は、自治研活動でもこのテーマを扱ったことがある。一九八〇年代は、第二臨調による行政改革が行われ自治体において民間委託が席巻した。この中で民間サービスと行政サービスとの関係をどのように捉えるべきかが課題となったのである。このため自治研中央推進委員会は、一九八八年から八九年にかけて「行政サービスと公務労働」という作業委員会を置いた。作業委員会は神戸市などの現地調査を含め精力的な研究を一年にわたって行い「行政サービスの変化にいかに対応するか」という報告書をまとめた。当時は、民間サービスが行政サービスを浸食しているという印象が強かったが、実際には公共的なニーズそのものが広がっており、サービス提供の担い手は民間企業だけでなく、市民活動や生協など非営利団体にまで及んでいた。報告書では、労働組合に対して労働のあり方そのものの見直しをはじめ、サービス提供者の連携から地域経営の視点を持つ必要性が指摘された。自治労運動にとって非常に重たい課題であり、函館で行われた自治研集会でも大きな課論を呼んだものである。
その作業委員会の主査として苦労を引き受けてくださったのが、寄本先生である。その時、先生の発案で月刊自治研でも「公共を担う”民”とは何か」という特集が組まれ、先生も関西の清掃民間事業者を自らルポした一文を寄せている(一九八九年九月号)。例によって先生は、早朝から丸一日かけてしかも自らパッカー車に乗り込んで取材されており、その姿勢と熱い思いに敬服したものである。
本書は、むしろ副題である「市民主権の地方自治」から見たほうがわかりやすいかもしれない。あれから一〇年を経て、「公共」は市民とその活動によって形づくられることはむしろ常識となりつつある。その時代状況を画するのが「分権改革」である。本書では、第一章で九三年から始まる一連の分権改革について市川喜崇がみごとな分析を行っている。今回の改革は、中央政府と地方政府の間の改革、しかも中央から地方への関与の改革に過ぎない。しかし、地方政府による自己決定、自己責任が打ち出されたことで、本当の市民の政府にできる時代が切って落とされたのである。
第二章以降は、具体的な課題をめぐる市民主権の現状を見ている。はじめに環境について、日野市において環境基本計画が市民主導で創られた過程が早川淳によって紹介されている。「計画」は、これまでは行政(職員)の専権分野と考えられてきたが、委員の公募や住民発案が広がり始めている。問題はむしろ、発案から執行、評価に至るまでの一貫した市民参加を保障できるかどうかという点や、市民の動きに対する職員参加のあり方が重要になっている、という指摘に注目したい。
清掃行政では、工場の建設など市民からの反対がつきものである。本書では、清掃行政における困難な状況について、山本耕平が審議会委員として参加した経験からレポートを行っている。狛江市、東村山市、名古屋市の事例が報告されているが、特に名古屋の例が興味深い。名古屋市では、藤前干潟を保全する決定をしたことで埋め立てができない、かといって焼けないという状況のなかで市民がリサイクルに立ち上がったのである。
そのほか、住民投票の浮上によってその代表制の意味が問われている地方議会(岩崎恭典)、介護保険の導入によって民間によるサービス提供が主流となった高齢者福祉(瀧井宏臣)、市民参加がようやく端緒についた障害者福祉(麦倉哲)、アイスホッケーチームを市民が支えた題材を通してみたスポーツ行政(中村祐司)、農業と行政が支える新しい農業(大江正章)のいずれにおいても市民活動の台頭によってこれまでの行政、ひいては「公共」のあり方が転換しつつある姿が浮き彫りにされている。
海外についても、イギリス(小原隆治)とアメリカ(佐藤学)における市民と公共との関係が紹介されている。これらの国では、自治体行政は小さいが市民同士の助け合いや市民自身による自治が大きな存在になっているかどうかを見ようというのである。単なる行政の仕組みの紹介ではなく、個人の生活レベルに着目したところがおもしろい。特にアメリカについては、ボランティアに依存する消防の実態、貧富を背景に教育における自治体格差が生じている実態などの生々しい話は、著者が住んでいるからこそ書けたのだろう。
いずれの論文にも共通するのは、徹底した現場主義と研究者としての客観的視点である。それこそ、寄本先生のモットーに違いない。
本書に述べられているように、行政改革では、民の私的な自助努力が強調されるあまり、生活問題や都市問題を公共の問題として理解する視点が欠けているように思う。福祉など二一世紀の重要なテーマに関して、一部で言われるように、公的公共性を単に縮小すればよいわけでは決してない。行政には、民の活動を支援する役割も求められる。そして、分権化の進展にともなって国の関与が縮小された今日、自治体行政と民がどうかかわっていくのかは、ますます重要な課題になっている。
本書はこうした問題意識のもとに、まず、分権改革と今後の地方自治のゆくえを的確に整理する。その上で、まちづくり・介護・福祉・環境・リサイクル・スポーツ・農などの側面で、どんな民の側の活動が進んでいるのか、それを受け止める職員には何が求められているのか、地方自治の先進国といわれてきたイギリスとアメリカの状況はどうなっているのかなどを、具体的な事例にもとづいて分析する。編者をはじめとする執筆者は、いずれも現場を足で歩く研究者や職員等であるため、地域住民と語り、そのニーズを踏まえ、自分の眼で見て感じたことに即して平易な表現で議論が展開されている。先進的な事例が豊富に紹介されている点でも、私たち職員にとって参考となるところが多い。(多摩都市整備本部管理部経理課長、松浦いづみ)
そして、”Public”を担うのは市民であり、その市民が行政、営利企業、非営利組織に属し、それぞれに役割分担をしながら公共的事業に携わる社会構造の構築が求められている。
本書は、著書『自治の形成と市民』などで先駆的に上記のような社会構造を提唱してきた編著者と、現在さまざまな領域で活躍する教え子たちがまとめたもの。
今までの分権改革を総括したうえで、日野市環境基本計画の制定過程、アイスホッケーチーム「日光バックス」の設立運動など実例に基づき「協働型社会」のあり方を模索するとともに、イギリスやアメリカの自治の構造を分析している。
文章は平易で読みやすく、これからの自治の姿をイメージするには最適な書といえる。
編著者の寄本氏は企業の「企業市民」化、公務員の「公務員市民」化を説くと同時に、「市民団体やNPOなどの民が”官僚化”する恐れもある」とも指摘する。組織は、ややもすると生き延びるために初志を忘れ、硬直化するもの。それは企業、行政のみならず市民団体にも当てはまることを肝に銘じる必要がある。
かつて市民は、行政に対し多くのことを期待し無批判に依存してきた。例えばゴミの収集や処分は都市衛生を守るための自治体の当然の義務と考え、それに対し特段の協力はしなかったし、また自治体がどのような形でゴミを処分するかにも無関心であった。
ところが今日では、市民は、環境に与える影響等からゴミ問題に対する関心を深めている。一方、自治体も、ゴミの減量、料金の一部負担、あるいは処分場の建設について、市民や企業の協力なしにはゴミ行政を遂行できない状況にある。また、ドイツに例をみるように、環境に対する配慮がない企業は消費者の支持を得られないようになる。では、市民、企業、自治体は、ゴミを例にとっても、どのような関係を構築していくべきなのだろうか。
著者はゴミの減量を個人に求めるのはよいが、こうした自助努力だけでは限界があるとし、自助を言うのであれば、それを生かしそれに応えるような公共政策がなければならないと言う。市民と自治体の関係は、一方が上がれば必ず他方が下がるシーソーのようなものではないのである。また、市民は自治体に対して様々な要求をし、ときには自治体の政策形成に参加する機会を持つこともあったが、公共そのものの一部を担う主体者意識は希薄であったとし、公共は自治体のみならず市民や企業によっても築かれ支えられるべきものであると指摘している。ゴミをはじめとして今日我々の身近に山積みされている問題は、ここに示されているゴミ行政を基本概念とすることによって初めて適切に解決されるのではないだろうか。