今井紀明(ジャーナリスト・当時18歳)著
四六判/176ページ/本体1300円+税
2004年7月/ISBN 978-4906640805
テレビや雑誌で伝わらないことを書きました!
イラク人質事件の全容、帰国後の激しいバッシング、日本社会のおかしさについて、真面目な言葉で綴る。ごく普通の青年の真摯な思いが、関心を持ちつつどう行動していいかわからない人の胸に深く響く。
「武装勢力を恨む気になれないのは、空爆のたびに誰かが死ぬイラクの現実を見てしまったからです」
「ぼくたちは、どんな悪いことをしたのでしょうか」
第1章 卒業テストより大切なことがある──ぼくの取り柄は行動力
第2章 こんなに危ない劣化ウラン弾──絵本をつくるためにイラクへ行こう
第3章 「人質」になった八日間──ぼくは恨む気にはなれない──フラッシュが恐い
第4章 マスコミのバッシングを受けて──フラッシュが恐い
第5章 めざすは自分のテーマを追うライター──ネットワークを広げたい
第6章 自分の頭で考えよう──可能性はたくさんある
第7章 <対談>ジャーナリストのあり方 広河隆一・今井紀明
書評オープン 『朝日新聞(北海道版)』(2004年7月15日・夕刊より) イラク拘束事件で突然渦中の人となった十八歳の著者がそのときの状況や戸惑いをつづる。問題意識に素直に向き合い、大人たちに影響されながらも基本的には一人で動く姿が頼もしい。先走った言葉もあるが、若くて行動力があるのだから生意気でないほうがおかしいのだろう。ジャーナリストの広河隆一氏との対談付き。 『北海道新聞』(2004年8月15日より) 「テレビや雑誌で伝えられなかったぼくの思いを精一杯書きました」とあるが、そのとおりの率直な肉声がひびいてくる内容だ。本は2冊しか読まなかったという中学時代。受験勉強になじめなかった高校生活。市民活動に関心をもった経緯。そして、イラクでの「人質」になった8日間。「帰国してからのほうがつらかった」というバッシングの嵐の中の日々。自作自演説や名前をかたられ流された偽メールへの悔しさ。事実無根の記事を書くマスコミへの怒り。 『ふぇみん』(2004年7月25日より) 今井さんは、劣化ウラン弾の絵本をつくろうと、高校卒業後すぐにイラクに行きました。「現場に行くことが大切」という信条からです。今井紀明著『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』(コモンズ・1300円)には、そのいきさつと生々しい体験が書かれています。解放されてバッシングのひどさに驚き、「人質のときより、帰国してからの方がきつかった」といいます。 『しんぶん赤旗』(2004年8月1日より) 「イラク人質事件」の渦中の人であり、現在はフリー・ジャーナリストを目指して勉強中の19歳の著者が“テレビや雑誌で伝えられなかったぼくの思い”を吐露する。「自己責任論」やジャーナリストのあり方について、報道写真家の広河隆一氏との対談も掲載。 『ダ・ヴィンチ』(2004年10月号より) 『西日本新聞』(04年8月22日)、『出版ニュース』(04年9月上旬号)、『Grazia(グラツィア)』(04年10月号)、『Woman’s EYE』(2004年10月号)、『月刊オルタ』(04年10月号)、『東京新聞』『中日新聞』(04年10月17日)、『ミュージックマガジン』(06年1月20日)でも紹介されました。
イラク行きを決断するまでの経緯や拘束中の生活などを振り返った。空爆のたびに誰かが死ぬイラクの現実を前に、「武装勢力を恨む気になれない」という心情も吐露している。人質事件で沸き起こった自己責任論やジャーナリストのあり方について、報道写真家の広河隆一氏との対談も掲載している。
オーストラリアでの語学留学を目指して勉強中の今井さんは、「本を出すことは、自分が今までやってきたこと、これからどのように向かっていくかの確認作業のようなものでした。同世代の人たちが世界に目を向けてもらうきっかけになれば」と話している。
そうだろうなとうなずきながら読んだ。