小出裕章・明峯哲夫・中島紀一・菅野正寿
A5判/112ページ/本体価格1100円+税
2013年3月/ISBN: 978-4-86187-103-0
放射能汚染と対峙し、食べものの安全性を守りながら
農業・農村も復興しなければならない
かけがえのない暮らしと風土を守りたい
では、どうすればよいのか?!
反原発の第一人者と有機農業研究者・農民が真正面から論じ合う
はじめに
●問題提起1 放射線管理区域を超える汚染地域で農業をどう守るか 小出裕章
●問題提起2 福島の現状と農民の想い 菅野正寿
〈資料1〉国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメント(抜粋)
●論点1 放射能の危険性と農産物の汚染状況をどう認識するのか
●論説1 検証されつつある「福島の奇跡」 中島紀一
●論点2 農産物への放射性セシウムの移行率は、なぜ低かったのか
●論点3 危険と避難のあいだ
●論説2 生きることそのものとしての有機農業――放射能汚染と向かい合いながら 明峯哲夫
●論点4 「子どもには食べさせない」という考え方は、本当に正しいのか
●論説3 放射能汚染食料への向き合い方――拒否するだけでは解決しない 小出裕章
●論点5 安全性の社会的保証と被災地の復興
質疑応答
●エピローグ 暮らしが変わらなければ、脱原発社会は創れない
討論を終えて
小出裕章(こいで・ひろあき)
京都大学原子炉実験所助教。
1949年、東京都生まれ。東北大学工学部、同大学院修士課程修了。大学入学時は原子力を未来のエネルギーと考えていた。女川原発に反対する住民に出会い、「安全ならどうして仙台に原発を建設しないのか」と問われ、考え抜き、「原子力と人類は共存できない」という結論に至る。その後、原子力発電を止めさせるために研究者の道を歩む。1974年、京都大学に助手として採用後、伊方原発訴訟に住民側証人として参加。過疎地、労働者を差別する原発と向き合ってきた。主著=『隠される原子力・核の真実』(創史社発行、八月書館発売、2010年)、『原発はいらない』(幻冬舎、2011年)、『原発のない世界へ』(筑摩書房、2011年)など。
明峯哲夫(あけみね・てつお)
農業生物学研究室主宰、NPO法人有機農業技術会議代表理事。
1946年、埼玉県生まれ。北海道大学農学部卒業、同大学院農学研究科博士課程中途退学。専攻は農業生物学(植物生理学)。1970年代初頭から「たまごの会」「やぼ耕作団」など都市住民による自給農場運動に参加しながら、人間と自然、人間と生物との関係について論究を重ねてきた。現在は多くの仲間と共に有機農業技術の理論化・体系化の作業に取り組んでいる。主著=『やぼ耕作団』(風濤社、1985年)、『ぼく達は、なぜ街で耕すか』(風濤社、1990年)、『都市の再生と農の力』(学陽書房、1992年)、『街人たちの楽農宣言』(共編著、コモンズ、1996年)、『有機農業の技術と考え方』(共著、コモンズ、2010年)、『脱原発社会を創る30人の提言』(共著、コモンズ、2011年)など。
中島紀一(なかじま・きいち)
茨城大学名誉教授、NPO法人有機農業技術会議事務局長。
1947年、埼玉県生まれ。東京教育大学農学部卒業。鯉淵学園教授などを経て、2001年から12年まで茨城大学農学部教授。専門は総合農学、農業技術論。日本有機農業学会の設立に参画し、2004年から09年まで会長を務めた。有機農業推進法制定に先立って「農を変えたい!全国運動」を提唱し、その代表も務めた。主著=『食べものと農業はおカネだけでは測れない』(コモンズ、2004年)、『地域と響き合う農学教育の新展開』(編、筑波書房、2008年)、『有機農業の技術と考え方』(共編著、コモンズ、2010年)、『有機農業政策と農の再生』(コモンズ、2011年)、『有機農業の技術とは何か』(農山漁村文化協会、2013年)など。
菅野正寿(すげの・せいじ)
あぶくま高原遊雲の里ファーム主宰、NPO法人福島県有機農業ネットワーク代表、NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会理事。
1958年、福島県二本松市旧東和町生まれ。農林水産省農業者大学校卒業後、農業に従事。現在、水田2.5ha、野菜・雑穀2ha、雨よけトマト14a、農産加工(餅、おこわ、弁当)による複合経営。編著=『放射能に克つ農の営み』(コモンズ、2012年)、共著=『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ、2011年)など。
書評オープン 反原発の第一人者・小出裕章京都大学原子炉実験助教と農業研究者、福島在住の有機農業者4人の公開討論会(今月1月、有機農業技術会議が企画)をまとめた。 『日本農業新聞』(2013年3月31日 書評欄) 「神戸新聞」、「秋田塊新報」(13年3月31日)、「信濃毎日新聞」(4月7日)、「山形新聞」(13年4月14日)、「茨城新聞」(13年5月5日)、「長崎新聞」(13年5月12日)、「電子耕」(農業文化メールマガジン 第349号、「文化連情報」(13年10月号)などで紹介されました。
農産物への放射性セシウムの行こうでは、高濃度の放射性物質で汚染された地域でも、農産物が高濃度で汚染されていたのは事故後2カ月間。以降汚染度は劇的に低下する「福島の奇跡」があった。その要因はガンマ線を遮断する「土の力」と表土を耕転し、丁寧に混和する「農人たちによる農工の結果」だ。
逃げる、逃げないではなく、「危険かもしれないけど逃げるわけにはいかない」というのは土地に生きる農家には切実な選択。放射線被ばくが想定される地域で子どもを育てるのか、という論点も含め考えることは多い。大切なものは何かを考えさせられる一冊。